二度と来ることのないと思っていた朝が、何事もなかったようにやってきた。

 まだ淡いと言えるか言えないかの斜陽に包まれながら、明日菜は目を覚ます。
 いつも起きる時間には、寝坊にしても遅すぎるくらいだ。しかし彼女にはむしろ、いつもと同じように感じられるリズムが心地よい。
 まさにそれは、生き返ったような気分だ。一度死んで、生き返ったかのように昨日を振り返っているこの瞬間が、不思議に思えた。

 そう。本当に不思議だった。
 明日菜は10年前の悪魔の呪いで、本来なら昨日までの命―――すなわち今日という日は彼女には存在しないはずだった。
 死ぬことから解放された安心感に、まるで今しがた生まれてきたような錯覚すら覚えた。周りを見渡すと、身辺整理をされた室内の殺風景が、区画整理をされた土地のようなまっさらな新天地に、いつの間にか変わっている。そんな中に、明日菜はぽつんと座っていた。

 隣を振り向くと、ネギが静かに寝息を立てている。
 ただ単に側にいて、それに寝ているというオマケ要素が付いているだけなのだが、そこまでしてくれなくても…というくらいに、明日菜にとってはネギの存在が十分過ぎる。ネギはもはや彼女の一部、というのはすっかり使い古された表現だが、それ以外にしっくり来る言葉は見つけようがない。
 明日菜はそっと、ネギの寝顔を覗き込んだ。その頬には、涙の跡がうっすらと残っている。表情こそ幸せそうだが、そのせいでかえって筋が目立っているのが痛々しい。
 愛くるしい寝顔とは裏腹に、背負っても背負いきれないものを抱えていた9年前の表情が、明日菜に思い返された。
 それはまるで、自分の呪いの後遺症のごとくに感じられた。明日菜はやさしくネギの涙の跡をふくと、同時にそれから解放された昨晩を振り返り、その安心感に浸る。

 そして頭の片隅で秘められた自身の言葉に、明日菜ははっとした。


 ―――私の9年間を返して!


 返して、だって? 私の未来を取り戻してくれたのに?

 私は本来、失うべきはずの未来を取り戻すことができた。しかしこいつは―――いや、この子は私の未来を守るために、自分の未来を引き換えにする覚悟だったのだ。
 それなのに、私の9年間を返せなんてどうかしている。まるで自分に呪いがかかっていたことを、ネギの所為にしているみたいじゃないか。
 いや、事実そうしていた。9年前から気づいていたネギへの気持ちを打ち明けたタイミングのあまりの今更加減に、どこか素直になりきれなかったのだ。

 ごめんね、ネギ。本当にごめんね。
 言葉のかわりに、そっと彼を抱き上げた。

 本当は自分よりもずっと辛かったはずなのに、私のぶんの苦しみまで背負わせてしまったこと。
 また昨晩、その代償を押しつけようとしてしまったこと。
 そして何よりも、彼の本当の気持ちに、9年間も気づいてあげられなかったこと。

 そんな、ネギに注ぎきれないお詫びの気持ちが、涙となって溢れ出る。
 それはやがて明日菜の頬を伝い、ネギに潤いを与えるように落ちた。

「ん……アスナさぁん……」

 ネギは意識半分、寝言半分といった虚ろな目で明日菜に寄り添う。
 ぎゅっと抱きしめると、ネギは意識してか無意識か、寝呆けたまま明日菜を抱き返してきた。
 その感触は赤子の反射的に手を握り返すようで、その無邪気さに自身は母親のような気分になれるのがちょっぴり嬉しい。しかしそう意識すればするほどに、この歳での母親役が気恥ずかしくもあった。
 ネギは明日菜の胸で、再び安らかな寝顔に戻る。

 明日菜は誓った。

 未来(あした)のあたしへ―――
 この子をずっと、守り続けます―――と。

 あんな辛い思いは、もう二度とさせない。
 私たちの未来を、ずっとずっと守り続けたい。

 思い返せば、私が取り戻す9年間は、そのために課せられたのだ、と決意して、明日菜はネギをそっと布団に下ろす。
 そして乱れ切った毛布をかけ、ネギの手を握って布団に入った。

 物語は佳境へ―――18年越しの恋路がいま、折り返す。


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